『知り難きこと陰の如く、 動くこと雷霆の如し。』観劇感想
『知り難きこと陰の如く、 動くこと雷霆の如し。』12/19.25観劇
頑張ってスマホでポチポチしてたのに、インスタグラムくんに投稿しようと思ったら「なげぇ!!」って怒られたので久々に一演目ではてブロ書きます。最初からキーボードで打てば良かった……。
インスタグラムくん、キモヲタの長文は受け付けてくれないのね、了解しました。私が悪かったです。
※以下多大なるネタバレ
※細かいセリフの言い回しと時系列や役者の間違いが絶対に!!!ある!!!!!
※広い心でお読みください。
『私は私を演じているのだから、私が私である時間はどこにあるのだろうか』
基本的に史実に沿っていますが、結構創作要素も強いなぁと思いました。
だからこそナチ系の歴史に触れるギリギリのテーマなのに、今の私たちと縁遠い話題が程近く感じる構成になってる。後述しますが、2020年の終わりにこれを再再演しようと思った西田さんが大好きです……。『知り難き~』、私はこれが初観劇でした。
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人間の”悪意”は何処から発生するのか?
WW1 〜WW2にかけてのヒトラーの半生を「ヒトラー」役がいない状態で、人間の『悪意』について陪審員12(良子さん=ゲリ)からの審問を中心に繰り広げられて行く物語。
冒頭フェーダーの『集団は立ち上げた時から腐っていく』というセリフが、のちの『生まれたばかりの赤ん坊を悪意だと殺すことが出来ますか?』というシュペーアに問うた陪審員12のセリフに繋がっていて、史上最悪の戦犯になる総統・ヒトラーが生まれた時におそらく誰も彼を殺せないことが、このお話は人間の『性悪説』への疑問を表現するために創られたのだと思う。
以下覚えてるところ抜粋
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1931年、ヒトラーの秘書・マルティン(陪審員11)とヒトラーは出会う。その時期に最愛の姪、ゲリが自殺(正しくはヒムラーに殺される)。
ヒトラーの親友・クビツェグの若い頃に瓜二つなマルティンを見てゲリ演じるヒトラーはマルティンを側に置く。
これに対してマルティンに陪審員12は、『1931年、浮浪者(ヒトラー)は最大の悪意と出会ったのです』と審問する。※後述1
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①
『ミュンヘン一揆』
『長いナイフの夜』
レーム(陪審員2)が大きく関わった二つの事件。
陪審員12に『あの時(ミュンヘン一揆)で浮浪者(ヒトラー)を殺さなかったのは何故ですか?』『そしたらあの長いナイフの夜も起こらず貴方は死ななかった』と問われる。
それに対してレームは、1928年のミュンヘン一揆で死ななかったヒトラーに対して、レームは『あの時やつは死なないと思った』『死んでも良かった、俺もその時にきっと死んだ』と発言。ヒトラーに最後まで友として接した男の言葉。
『長いナイフの夜』でそのヒトラー自身に粛清対象となり、殺される。(※ゲーリング、ヒムラーが唆す)
「死んでもよかった」と発言したレームは悪意が無いとは言えないけれど、友としてヒトラーを愛していたから、殺せなかったのだと思う。
大体未来のことはレームにはわかんねぇ。
②
『どうしてそばにいるんだろう?』
『それを愛と呼ばない貴方はやはり素敵だ』
ホフマン(陪審員5、ナチ党の専属カメラマン)に何故ヒトラーが何者でも無かった最初から今まで変わらずヒトラーの近くにいるんですか?と問われたゲリとホフマンの会話。
↓
『のめり込んでるんじゃないの?』
アイヒマン(陪審員3、”ユダヤ人の最終解決”の全指揮をした男)が漸くヴェラ(陪審員10、ユダヤ系、チェコ人)と結婚できることに対して、「愛は素晴らしい!」と「愛」を連呼し、それに伴いユダヤ人種を下等ともとれる発言に対して、アイヒマンに言ったヴェラの発言。
この二つのシーンを連続して演出することで、 『愛』とは『のめり込むことなのだ』と分かる。
③
『わたしには夢がないんです』
『夢は見るでしょう?』
『夢を見るのなら、悪夢を持つこともあるのでしょうか』
ヴェラと陪審員12の会話。
④
『俺も見たんだ、夢を』
『エロい夢?』
『違う、君の夢だ』
冒頭はハンス(陪審員7、ユダヤ系であることを隠し入党、後にバレて後にバレて逃亡する)の彼女として、のちにヒムラーの秘書・そして妻となるヘド(陪審員4)とマルティン(陪審員11)との会話。
※おそらくマルティンはヘドに惹かれている。
⑤
ハンスの安否を心配しているヘドがマルティンへ言ったセリフ。
『大丈夫よ、夢を見たんでしょう?』
③~⑤
『夢』というワードが何度か出てくるが、ここでの夢は自分を生きていく上で『悪意』が生まれた時に構成されている。
ヴェラの言う悪夢は、アイヒマンの妻であるが故に自分だけ助かったことへの罪悪感と、真面目で優しい夫・アイヒマンがヒトラーの思想にのめり込んで行ったことへの『悪意』。
また、ヘドとマルティンの会話では、ハンスに関してのみ(? 多分…)、『夢』というワードを使っていますが、そもそも『助けてやる』という気持ち自体がハンスを下等に見ていて、『悪意』がある。(まあハンスはそもそも迫害される立場になるまでは基本的に人を見下す人間だったけど……。)
だけれど、『助けたい』という『夢』は、相対的にも『愛』になりうる。レームの件然り、アイヒマンとヴェラの件然り、『愛』と『悪意』は紙一重。
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※後述1に対して
マルティンはヒトラーの秘書として晩年までそばにいた。精神的に不安定で直情的なヒトラーを”ヒトラーの親友・クビツェグ”の振りをして精神を安定させたりしている。
レームを殺したのもマルティン。
陪審員12がヒトラーとマルティンの出会いを『浮浪者と最大の悪意との出会い』と言ったのは、ヒトラーを止めれる立場にあったかもしれないのにマルティンはそれをしなかったから。
ヒトラーを殺そうとしたのも『総統は死にたがっていた』と発言している。
彼の生涯抱えていた『秘密』は『総統を守りたかった』。(? 多分……)
なので、作戦を完遂しなかった(ベルリンの街を焼かなかった)と報告したシュペーアの理由『次に生きる時代の人のために(街を残した)』を聞いて、この場面でヒトラーを演じたマルティンが『ありがとう』と言ったこと。
マルティンから見たヒトラーは『悪意』だけの人じゃなかったから。
ヒトラーを止めれたのに止めなかった(または妨害され止めれなかった)マルティンの存在が、ヒトラーにのめり込んでいったその『悪意』が生んだマルティンの『秘密』は、優しさや私欲(ハンスの件)、見て見ぬふり、同情、恐怖など、人間の一筋縄でいかない本性と人生を表している。
またこのシーンから、ヒトラーが『ドイツという国、民意にのめり込んでいた』ということが分かる。だからその対象である全員、つまりドイツ国民、戦争に関わっていた全ての人が『悪意』を持っていた。
マルティンは私たちです。
私たちもヒトラーになりえた、と解釈しました。
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ラスト、生きていたゲリはシスターとなり、逃亡中のアイヒマンからホフマンに撮ってもらった写真を受け取ります。
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『悪意を通して秘密を持ち、自分が自分である時間を探す』
そうやって人間は生きていくのだと、マルティンが扉を閉じて終幕。
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その他
★多分ヒトラーを演じてる時の陪審員は『民意』じゃないかな?と思います。
★作中出て来る『エル』という名称は多分「Liebe(日本語訳・愛)」と「Lange(日本語訳・長い)」からとってるのではないかと……。多分です……。
※以下、超絶わたしの所感
善人を演じている人も、悪人を演じている人も、それぞれの秘密があって、演じているうちにそれは本当の「自分」になり、誠になる。それが悪意から生まれたものでなくても、悪意でも。
ホロコーストの戦争責任ってドイツだけじゃなくて、ずっとずっと世界に根深くあって、ここ最近ようやく優生法(生きるに値にしない命と判断された人々を殺戮処分、または断種措置をとる。対象はユダヤ人のみではなく、同性愛者、障がい者など多岐にわたる。日本は1996年改定)が注目されてるように、私たちの身近にまだ負の歴史はあります。
その対象はいつ自分になってもおかしくないし、このお芝居におけるアイヒマンがナチ党と愛(ヴェラ)にのめり込んで、無意識にアーリア人以外を『下等』だと認識したように、80年以上前のことであっても後世に生きる私たちにとって、歴史とは日常と隣り合わせであり、その『隣』を知る責任があるんじゃ無いかと思いました。
また、この2020年、567禍で暮らしが変わりました。政治も国もボロボロで、その中で567と関係ない人なんていないじゃないですか。
でも自分はどこか無関係、大丈夫だと思ってる。
567だけじゃなくて、自分というモノに必死で、この社会に対しても日本という国は割とそれが顕著じゃないのかなぁと思います。この社会を構成しているのは紛れもなく私たちだから、ちゃんと自覚を持たないと良くないな。民主主義は横暴だけど、モルトケが言っていたように、いまの日本の国を選んだのは私たち『民意』なんですよ〜〜って言う。
ただ15万円の支給はいつまでも待ってるのでよろしくお願いします。
2回観劇じゃこれが限界だし細かいところ覚えてないからやっぱりもうちょっと入れば良かった( ´•̥ו̥` )
でも2020年の最後に観た舞台が『知り難き〜』で良かったです!
言うだけタダなので言いますが、ありえんくらいEndorphinが観たくなったので再演を宜しくお願いします!
年末はオフィドレかアンドレ観ないと終える気がしないと言い続けて5年くらい経ったのですが、昨日ロマンスグレーの年配のご夫婦がお二人で仲良く観劇されててわたしもああなりたいと思ったクリスマスの夜でした。
私はこれで観劇終了ですが、28日まで新宿のスペゼロでやってるのでぜひご観劇ください。面白かったよ!
数十年後もオフィドレのお芝居が観たいですね。