ななつめ草

元・若手俳優のオタク雑記

舞台「四谷怪談」感想

 


感想というよりメモ書きです。支離滅裂。

 


舞台『四谷怪談』2017/12/21~2017/12/28


再再演で初めて観劇しました。個人的な解釈ですので細かいところご了承下さい。

 

 

 

めっちゃ私事なんですけども、非常に現実が辛い時に通って、しかも舞台の内容はアホほど暗いししんどいしどんどん気持ちも暗くなって、観ながら「わたしMなのかな?」と思いながら観劇したんですが、色々あって千秋楽非常に清々しい気持ちで観れました。理性が先に働いてしまうせいかあまり泣けないタイプなのに、人生で初めて何かに感動して千秋楽泣いた。文章能力が無いので段落で分けます。

 

 

 


☆北九州監禁殺人事件と忠信蔵を交錯させながら進んで行く舞台。冒頭のたかしちゃんと一学、伊右衛門、直弼の噛み合ってるようで噛み合ってないシーン、なんだかゾッとした。ひとの愛憎をテーマのひとつにしている。椿弁護士と少女A(と、良子さん)が椿の記憶を辿っている体らしい。阿部さんが27日のカテコでおっしゃってました。


☆直弼役の伊藤孝太郎さんがすっごく良かった、、、。死に行くモブに対して『此処にも人生はあるのにね!』と叫ぶシーンが忘れられない。直弼は小物のようで小物でなく、かといってあっという間に観客に対して「可哀想」と思わせることなく「どうしようもない奴」として死んでいく。『此処にも人生はあるのにね!』は直弼自身への言葉でもあり、直弼は限りなく物語の端役に近い、モブ役として生きて死んだ「モブ」だったのかもしれないと思います。


☆少女Aが「蜩、大嫌いだった。だって私の方が泣いていたから」「蝸牛が好き」少女Aって被害者というよりは、加害者側の自己愛として描かれていると思う。(大前提として容疑者の被害者ではあるんだけど) 「信じられるのは自分だけ」と言った容疑者を「誠実」だと言った彼女は、自分の殻に閉じこもって今にも出そうな「蝸牛」(=伊右衛門、自分)を好きだと言ったけど、父親の写真を7年間持ち続けていた自分自信が本当の自分だと教えてもらって(または自身で気づいて)光の中へ向かって行ったので、きっと彼女の最後はハッピーエンドじゃないかもしれないけど、救われたんじゃ無いかなと信じたいですね。(???)何が言いたいのかわからなくなった。


☆「守ってよ!」「守ってもらう」みたいに、登場人物が被保護者として「守」を使うのに対して、清水一学だけがお岩を「守りたい」って口に出して言うのがよかった。かっこいい。
伊右衛門とお岩が一学に別々で言う「死んだら意味ないだろうが!(意味ないじゃない!」って「生きててこそ意味がある」的な感じかと思ってたんですけど、自分の憎しみや愛の対象自信が死んでしまうと、自己の死にもなってしまうからかなぁと書きながらぼんやり思いました。


☆「わたしはわたしを想うのです」でラスト終わるのが、デカルトの「我想う故に我あり」だと最初思って、作中でひたすらくぅに「恋をしなさい」と声をかけるのに結局は「自分は自分しか信じれない」が結論なんだな悲しい舞台だな〜暗い、、まあ真理、、、じめじめ、、、と勝手に鬱になっていたのですが、割と公演期間終盤になって「自分しか信じれないけど、それでも自分が愛したり憎んだりしたひともひっくるめて自分であり、それを信じた自分を信じる(想う)」って友達が解釈しててめっちゃ救われた。四谷怪談、愛憎の悲しいだけの話じゃなくて、愛するっていうことの本質を突き詰めた優しい舞台なんだなぁと…ふんわり……思いました…………(ポエム)


☆少女Aがラストの独白(良子さんと少女Aの言い合いは少女Aの本音の追求)で、「貴女はこう思ったのよ!ひとってこんな風に死ぬんだなぁって!案外簡単だなぁって!」って言葉、モロ観客に突き刺さったというか私に突き刺さった(笑) 何回も観てると、「もうすぐこのひと死ぬ」「あっ死んだ」って冷静に考えながら見てて、まさに「人って案外簡単に死ぬ」。ここが一番「観客もキャスト」って思った瞬間です。


☆西田さんが千秋楽のカテコで、「"ひとにこう思われたい自分”が、理想の自分ってことだから、それが"本当の自分"ってことなんじゃないかなと思ってこの作品を作った(要約)」って仰ってて、響きました〜!

 

観てからひと月以上経ってるので間違え多々あると思います。
四谷怪談、言っていいのか分からないけど、こうやって振り返るとめちゃくちゃ好きだったな。